تسجيل الدخول九条宗一郎さんとの面会が決まったのは、翌日の放課後だった。
場所は九条グループ系列ではない都内のホテルで、宗一郎さん自身が宿泊している最上階の応接室ではなく、一般客も利用するラウンジ横の個室を指定してきたらしい。黒崎さんによれば、「九条の施設へ呼びつければ、高梨紗季は自分の意思で来たのか、それとも家の圧力で来たのかわからなくなる」というのが宗一郎さんの理由だった。
その説明を聞いた時、私は少しだけ意外に思った。
会ったこともない相手なのに、私が九条家の施設へ行くと妙に緊張することまで知っているような気がしたからだ。
第77話 「その再開発、本当に商店街の人が望んでるの?」御曹司が初めて自分で企画を作ったら、私に最初からやり直せと言われました 私が考えた『焼き林檎のひと休みタルト』が店頭へ並んでから一週間、ソレイユでは最初の十二個完売に浮かれて大量生産へ走ることもなく、叔父さんの強い主張によって十四個、十四個、十六個と慎重に製造数を増やしていた。 毎日完売するわけではなかった。 雨の火曜日には三個残ったし、水曜日は逆に午後四時前になくなった。土曜日は二十個まで増やして十九個売れ、残った一個を叔父さんが「商品確認」と言い張って閉店後に自分で食べた。「それ、売れ残りを正当化してるだけじゃない?」 私が言うと、叔父さんはフォークを持ったまま平然と答えた。「味の変化を見るのも仕事だ」「だったら半分私にちょうだい」「もう食った」「仕事なら分けてよ!」 そんなふうに、売れたり残ったりしながら商品は少しずつ店に馴染み始めた。 四百九十円という値段も、とりあえず今月いっぱいは変えないことになった。 私にとっては、それだけでもかなり大きな出来事だった。 けれど、その一週間の間に今度は篠宮君のほうが、珍しく私へほとんど相談をしてこなくなった。 原因はわかっている。 高校生・大学生を対象にした地域政策アイデアコンテスト。 以前見つけたと言っていたあれに、本当に応募することを決めたらしい。「篠宮君、最近昼休みまでパソコン見てるよね」 木曜日、美咲が私の机へ頬杖をつきながら言った。「うん」「何やってるの?」「地域政策のコンテスト」「本当に応募するんだ」「みたい」「紗季、内容知らないの?」「まだ聞いてな
第76話 「このタルト、私が考えたんです」初めて店頭に並んだ新商品を、御曹司が誰より先に一個だけ買いに来ました 新商品の名前が決まらないまま迎えた火曜日の夜、私はソレイユ二階の食卓にノートと試作品の写真を広げ、もう一時間近く同じ言葉を眺めていた。「焼き林檎のごほうびタルト」 口に出してみる。 悪くない気はする。 けれど、何度も見ているうちに、だんだん自信がなくなってくる。「秋色りんごのタルト」 普通すぎる。「香ばし林檎タルト」 何となく商品名というより、説明文みたいだ。「午後の焼き林檎タルト」 今度は少し気取りすぎている。「……名前って、こんなに難しいの?」 誰に言うでもなく呟いたところで、階下から上がってきた母が冷蔵庫を開けながら言った。「難しいわよ。だから新商品出すたびに毎回揉めるの」「お母さんたちも?」「当たり前でしょう。浩二なんて去年、栗のケーキに『栗のやつ』でいいって本気で言ったのよ」「叔父さんらしい」「私が却下した」「それは正しい」 母は麦茶をグラスへ注ぎ、私の向かいへ座った。「まだ『ごほうび』で迷ってるの?」「うん。嫌いじゃないんだけど、ちょっと押しつけがましいかなって」「どういう意味?」「買った人に『これは自分へのごほうびです』って、店が決めちゃう感じがする」「紗季にしては細かいこと気にするわね」「商品考えると、急に全部気になる」「それが自分で考えるってことじゃない?」「楽しいけど面倒」「仕事なんて大体そうよ」
第75話 「売れる値段じゃなくて、私が売りたい値段を先に聞いて」御曹司にケーキ屋の新商品を相談したら、経営会議になりかけました 三者面談が一段落した翌週、私の進路について考えるきっかけは、学校ではなくソレイユの厨房から降ってきた。「紗季、これ食ってみろ」 土曜日の午前十時過ぎ、焼き上がったばかりの菓子を叔父さんが私の前へ差し出した。「何これ?」「見りゃわかるだろ」「見た目はタルトだけど、何の?」「だから食え」「説明する気ないじゃん」 私はエプロン姿のまま、小さく切られた試作品をフォークで一口食べた。 表面は薄くキャラメリゼされ、その下には少し酸味の残る林檎、さらにその下には香ばしいアーモンドクリームが入っている。「……美味しい」「それだけか」「急に商品会議みたいに言わないでよ」「試食頼んでんだから感想くらい言え」「林檎の酸味ちゃんと残ってる。あと、上が甘いから中まで甘すぎないの好き。タルト生地も前より薄い?」 叔父さんが少しだけ満足そうに頷く。「三ミリ薄くした」「三ミリでそんな変わる?」「変わるわ。菓子なめんな」「なめてないよ」 厨房の奥から母も出てきた。「どう?」「かなり好き」「あら、蓮君の口癖うつってる」「最近みんなそこ言う!」 母は笑いながら、もう一皿持ってくる。「こっちは?」「まだあるの?」「こっちはシナモン少し強め」 二種類を食べ比べる。「私は最初のほう」「理
第74話 「三年生から九条蓮司として通います」三者面談で御曹司が母親の前でも、自分の進路を自分の言葉で決めました 相沢君のサッカーの試合を見に行った翌週、教室の後ろに新しい予定表が貼り出された。 十一月三者面談。 生徒一人につき二十分。 三年次の類型選択と進路希望を中心に、本人、保護者、担任の三人で話をするらしい。「二十分って短くない?」 予定表を見ながら美咲が言うと、佐伯先生は教卓からこちらを見た。「予定通り二十分で終わる家庭ばかりなら、私も楽なんだけどな」「延びるんですか?」「去年、親子喧嘩が始まって五十分使った家がある」「怖っ」「だからお前ら、できれば家で話すことは家で話してから来てくれ。『お母さん、私その大学行かないって言ったでしょ』『そんな話聞いてません』を面談室で始めるな」 教室に笑いが起きた。「先生、経験積んでますね」 相沢君が言う。「お前らより長く高校生を見てるからな。それから篠宮」「はい」 後ろの席から返事がする。「お前は面談前に一度、放課後残れ」 教室の何人かが振り返った。 私は何となく理由を察した。「何で篠宮だけ?」 相沢君が素直に聞く。「事情がある」「進路?」「それも含めてだ」 佐伯先生はそれ以上説明しなかった。 文化祭の時に「篠宮蓮が本名ではない」ことまではクラス全員へ知られているので、誰かが特別扱いだと騒ぐこともなかった。 ただ、本人は少し硬い顔をしている。 ホームルームが終わると、いつものように私の席へ来た。「高梨
第73話 「高梨が相沢の名前を呼んで応援してる」御曹司、友達の試合で初めて彼女への嫉妬と友情を同時に抱えました 待ち受けの写真を相沢君に見られた事件から二日後、今度はその相沢君本人が、昼休みに妙に落ち着かない顔で私たちのところへやってきた。 普段ならパンを片手に「篠宮、数学のプリント見せて」とか、「高梨、今日店に余ったケーキない?」とか、本人なりには遠慮しているつもりなのだろうけれど、だいたい遠慮のないことを言ってくるのに、今日は私たちの机の前まで来てからも、なぜかすぐには口を開かない。「相沢君、どうしたの?」 私が聞くと、相沢君は後頭部を軽く掻いた。「今週の日曜、暇?」「日曜日?」「うん。午後なんだけど」 横にいた美咲がすぐ顔を上げる。「何、デートのお誘い?」「違うわ!」 相沢君の声が大きくなり、周囲の何人かがこちらを見る。「美咲、そういう冗談やめろ。篠宮がいるところで言うなよ」「何で篠宮君がいると駄目なの?」「何でって彼氏だろ」「俺は別に」 篠宮君が口を開く。「高梨が相沢と二人で出かけたいなら、まず理由を聞く」「篠宮君」 私は横を見る。「少しは嫉妬しないの?」「すると思う」「するんだ」「かなり」「そこは正直なんだね」「でも嫉妬したからって、行くなとは言わない」 相沢君が何とも言えない顔になった。「何で俺、誘いの内容言う前から二人の恋愛教育見せられてんの?」「相沢君が変な間を作るからでしょう」「俺のせい?」「で、何なの?」
第72話 「篠宮、その待ち受け高梨じゃん」御曹司が隠していた恋人写真を、クラスメイトに見られました 篠宮君と公園で撮った写真が彼のスマートフォンのホーム画面になってから、私は翌朝の教室へ入る前に一つだけ念を押していた。「学校では、机の上に画面を出したまま置かないでね」「うん」「誰かにスマホ貸す時も気をつけて」「貸さないと思う」「絶対じゃないでしょう。写真撮ってって頼まれることもあるし、調べ物で画面見せることもあるし」「その時は一回ホームへ戻らないようにする」「そこまで作戦立てなくてもいいけど、とにかく私が恥ずかしいから」「わかった」「本当に?」「かなり気をつける」 篠宮君は真面目に頷いた。 私はそれで安心した。 付き合っていること自体は、もうクラスのみんなが知っている。 だから、私たちが二人で出かけていることを知られたって、別に問題はない。 手をつないだことも、たぶん何人かは想像しているだろう。 それでも「恋人同士で撮った写真を彼氏が待ち受けにしている」となると、私の中では明らかに一段階恥ずかしさが上がる。 篠宮君本人は、その違いが最初よくわかっていなかった。「付き合ってるって知ってるなら、写真見られても同じじゃない?」「全然違うよ」「何が?」「説明しろって言われると難しいけど」「じゃあ、秘密?」「秘密というより、見せたくないもの」「同じじゃない?」「違う」「難しい」 昨日だけで、このやり取りを二回した。 最終的には、「高梨が見せたくないなら、俺も見せない」で納得して







